延沢銀山
山形県尾花沢市銀山温泉
低中温熱水鉱床
延沢銀山は、銀山温泉の奥にあり江戸時代に栄えた銀山で伝記によると康正2年(1456)儀賀市郎左衛門により銀鉱が発見されたのが
始まりとされ慶長年間に最上氏の家臣で延沢氏の領有下にあって5人の山師に命じ開山したとされる、元和8年(1622)山形城主の
鳥居忠政の支配する頃が銀の採掘が盛んで絶頂期であり、寛永11年(1634)には幕府の直山として栄え人口は2万人にも達したと
伝えられる。しかし正保4年(1647)より産銀が年々減少に転向し衰退していった。
現在は銀山温泉街が温泉客などで賑っており銀山跡は観光施設となっている。
- 産出鉱物
- 銀
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延沢銀山南坑口
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| 銀山温泉街 足湯の場所 | 鉱山手前の白銀の滝 | 
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| 北坑口 | 水抜き坑口 | 
- 延沢銀山の沿革
- 康正2年(1456)
- 儀賀市朗左衛門が銀鉱石を発見、翌年採鉱開始
- 慶長3年(1598)
- 豊臣秀吉に最上金銀山より産金銀を上納した
- 元和8年(1622)
- 鳥居氏山形城主となり延沢氏家臣銀山請負、西山に20鋪稼坑
- 寛永11年(1634)
- 鋪53を数え人口激増、幕府直轄の公儀山となる
- 寛永12年(1635)
- 公儀山となり留山(採掘停止)
- 寛永13年(1636)
- 尾花沢の天領となる
- 寛永17年(1640)
- 幕府小林代官が銀山を検査再開許可
- 寛永19年(1642)
- 銀山に代官陣屋を設け下郷天領を兼ねて治める
- 正保4年(1647)
- 西山を掘り尽くし産銀量減少により東山に移るが成果なし
- 万治1年(1658)
- 代官陣屋が尾花沢に移る
- 元禄15年(1703)
- 産銀量減少で村請山となり、鉱夫たちは他所に移住し休山状態となった
延沢銀山では、焼取り採鉱といわれる採掘工法が用いられていた、観光坑道内では、坑内で焚き火を行い鉱石を
焼いた跡が多数みられます、坑内で真っ黒の部分があり一瞬大きな銀黒帯と見間違えてしまった!!
焚き火のススと炭が多数あるのみでした、坑内で相当量燃やしたようで一酸化炭素や二酸化炭素中毒などに
ならなかったのでしょうか、煙抜き坑←(未確認でーす)なんてあったのかもねっ!!
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