持倉鉱山

新潟県東蒲原郡三川村

スカルン鉱床

持倉鉱山は、明治時代に小出氏により開発され後に大正8年より五十島鉱業(三井金属鉱業)により銅を目的に操業されたが、 昭和38年1月に閉山となり現在では精錬所跡が山中にひっそりとたたずんでいる。

産出鉱物
銅・鉄・螢石

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持倉鉱山跡

製錬所跡アーチ状のレンガ
  
建物の内側より川向いの煙突内部


持倉鉱山跡は、年々山に帰りつつある唯一残っている精錬所跡の川向いにある精錬所(選鉱場跡?)と おぼしき建造物群も木々に覆われ外見から解らなくなって来ました、沢上流部にある採鉱場に行く道も 欠落してしまって行けなくなっている。
精錬所跡の建物は頑丈な煉瓦で作られているが最近少しずつ倒壊しつつある。


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